夢と狂気の異端作家、ヘンリー・ダーガーについて1

 1973年4月13日、アメリカ・シカゴで一人の老人が息を引き取った。彼の名前はヘンリー・ジョセフ・ダーガー・ジュニア(Henry Joseph Darger, Jr.)。享年81歳。
 生前の彼は全く目立たない老人だったという。病院の掃除夫を長年務め、生涯独身のままだった。

 

 何よりもダーガーの生活は貧しく、近隣の住民からはゴミ捨て場を漁る姿を何度も目撃された事から浮浪者だと思われていた。
 そんな彼の死後、住んでいたアパートの一室の整理を始めた大家のネイサン・ライナーは、トラック2台分にも及ぶ「ごみ(遺品)」を処理した。――ただ、大家のライナーは孤独な老人(ダーガー)の持ち物の中から一つの旅行鞄を発見する。
 その中身こそ、

――――『非現実の王国世界で』

 と、タイトルの付けられた数千点にも及ぶ絵と文章からなる作品群だった。
 現在ではアウトサイダーアート(従来の美術作品とは趣が異なる新機軸の作品の総称)を手掛けた作家の一人として現在に名を残した。・・・・・・彼の意志とは関係なく。


 本来ダーガーの作品群はこの世から抹消される予定だった。

 

 当時、死期を悟ったダーガーは、自室の物品を「すべて」廃棄するようにライナーに頼んだという。つまり、この作品群も当然ながら廃棄される事を望んでいた。

 

 では、なぜライナーは老人との約束を破棄してまで作品を残したのだろう?
 実は大家であるネイサン・ライナーもまた、芸術に造形が深く彼自身も大学で芸術分野の教鞭をとる人物であった。

 

 ライナーは、旅行鞄に詰められた1万5000文字にも及ぶタイプ清書された原稿と共に、一見しておどろおどろしい女児たちの色彩が鮮やかな絵画の数々に息を呑んだ。
 浮浪者同然だと思われ、近隣の住民からも疎まれてきた孤独な老人が、この膨大な作品群『非現実の王国世界で』をただ一人で創作していたのだ。
 これらの創造性に衝撃を受けたライナーは、約束を破ってまで作品たちを残そうと決めた。

 

その鬼気迫る絵と、純真無垢な少女たちが時に残虐に嬲られる様子が描かれており、観賞する者に有無を言わせぬ圧倒的な熱量と異様なエネルギーを容赦なく与える。
 ちなみに、彼の遺品の中には小説の参考にした『不思議の国のアリス』や『聖書』などがあることから、これらの作品を手掛かりに、膨大な物語(サーガ)を生み出したのだろう。

 

 余談であるが、筆者はふと彼の人生にピッタリ合う映画のタイトルを思い出した。
 『夢と狂気の王国(公開日2013年11月16日)』
 スタジオジブリに密着した映画であり、日本アニメーションの巨匠・宮崎駿らを撮影した作品である。

 

 この「夢と狂気」こそダーガーの人生に冠するに相応しいのではないだろうか?
 彼の作品を観賞するにつけ、そう思わざるを得ない。しかし、人によってダーガー作品は生理的嫌悪を催すだろう。

 
ただ、もし本稿を読む「あなた」が何かを創作している場合、話は違ってくる。きっと「あなた」もまた、彼の「夢と狂気」の渦に呑み込まれるだろうことは必定。負のエネルギーが作品から匂い立つのだ。

 

 孤独。貧困。人生に対する絶望。
 それら数多の障害を抱え人生を歩んだ男、ヘンリー・ダーガー
 彼の異様とも言うべき創作熱はどこから来るのだろうか。
 ダーガーの歩んだ人生を共に振り返って行きたいと思う。
 
 ・・・・・・が、その前に。
 彼の作品の観賞には非常な精神力が必要になる。だから一言だけ警告の言葉を紹介したい。

 中世を代表するキリスト教文学の天才詩人ダンテ・アリギエーリの『神曲』の冒頭を引用する。
 
 《――この門をくぐる者、汝ら、一切の望みを棄てよ(神曲・地獄編)》

 

 ◇
 
 では、この『非現実の王国世界で』とは、一体どのような作品なのだろうか。
 簡単なあらすじは次の通りだ。