イリヤの空、UFOの夏に思うこと

イリヤの空、UFOの夏」(著:秋山瑞人)は、2001年10月に刊行された。

のち、「ブギーポップ」シリーズと共に、後世のラノベ界隈に激震をもたらした作品が世に出た。

 

本作を一言で例えればボーイ・ミーツ・ガールの青春小説であろう。

 

しかし、本作は面白い事に舞台となる季節が、なんと夏の終わりからスタートするのだ。むしろ、メインとなる季節は秋だ。

 

では、なぜタイトルに「夏」が入るのか? それはネタバレになるため説明は差し控えるが、キチンとした理由もある。

 

日本人は、特に「夏」に思い入れの深い国民性なのではないか――筆者は時々そう思う時がある。

夏は、生き物たちの生命が最盛期として迎える時期として、感じる人も多いだろう。田舎と言ってイメージされる風景は「田園」「青い空」「遠景の山々」などだろうか。そこに蝉の鳴き声をプラスしてもいい。

 

ボクたちは、夏という呪縛から逃げることが出来ないのかもしれない。

・・・・・・少し、話が脱線した。

 

本作が出版されたのはもう20年前になる。当時はまだSFがラノベに息づいていた時代。

まるで、現実世界と地続きの「おとぎ話」に若い読者たちも、心が躍ったことだろう。

 

ただし、本作は違う。

確かに中学生たちの瑞々しい会話や学校描写こそあるものの、実は戦時中という世界設定なのだ。しかも、敵の正体は全て説明されるワケではない。つまり、姿も形も分からない。

世界情勢や戦況など大きな視点は敢えて省略されている。

あくまで、作品の視点は少年、浅羽直之と謎の少女「伊里野加奈」の関係と、二人を取り巻く友達や家族の身近な世界を描く。

個人的に、本作の白眉ともいえるシーンは、ラスト付近のやり取りであるが・・・敢えて、一般的に語られない作品冒頭のシーンの素晴らしさをお伝えしたい。

 

◇ ◇ ◇

中学二年の夏休み最後の日の、しかも午後八時を五分ほど過ぎていた。近くのビデオ屋に自転車を止めて、ぱんぱんに膨れたダッフルバッグを肩に掛けて、街灯もろくにない道を歩いて学校まで戻った。

 

 

 北側の通用門を乗り越える。

 

 

 部室長屋の裏手を足早に通り抜ける。

 

 

 敵地に潜入したスパイのような気分で焼却炉の陰からこっそりと周囲の様子をうかがう。田舎の学校のグランドなんて広いだけが取り柄で、何部のヘタクソが引いたのかもよくわからないぐにゃぐにゃした白線はひと夏がかりで散々に踏みにじられて、まだ闇に慣れきっていない目にはまるでナスカの地上絵のように見える。右手には古ぼけた体育館、正面には古ぼけすぎて風格すら漂う園原市立園原中学校の木造校舎、そして左手には、この学校にある建造物の中では一番の新参者の園原地区第四防空壕。あたりは暗く、当たり前のように誰の姿もなく、遠くの物音が意外なほどはっきりと耳に届く。ふと、夜空にそびえ立つ丸に「仏」の赤い文字が目に入る。いつまでも鳴り続けている電話のベル、何かを追いかけているパトカーのサイレン、どこかで原チャリのセルモーターが回り、誰かがジュースを買って自販機に礼を言われた。つい最近になって街外れにできた仏壇屋の広告塔だ。気分が壊れるので、見なかったことにする。(――引用、電撃文庫イリヤの空、UFOの夏」(著:秋山瑞人)第1巻P12~P13より)

 

 

ちなみに、カクヨムにて「イリヤの空、UFOの夏」の該当部分を含むお話が読めるので、ぜひ興味を持った方はご一読下さればと思う。

しかし、それにしても凄い文章だ。

何が?

恐らく、ネットで小説などを書いた経験がある方ならば解るだろう。

「キャラクター」「空間」「空気感」「世界説明」を全て違和感なくこなしているのだ。

つまり、会話だけに頼らない地の文で読ませる力があるのだ。

 

例えば、教室を舞台にしてお話を書く場合、「周りの空間の様子」の描写であったり、キャラクターの人物像の紹介であったり、雑になる。とにかく煩雑を極めるのだ。

だから小説を書く初心者は、教室などの外的世界描写を少なく、人物描写に特化した描き方が多くなるのだ。

 

人は、「会話」に惹かれる性質を持っているので、自然と違和感なくキャラクター同士の掛け合いに引き込まれる寸法だ。

これが別に悪いわけではない。しかし、本作の魅力はキャラクターだけでなく、地の文に描かれる「夏」の空気感にある。

 

普通の作品ならば、平凡な教室描写と人物の会話を淡々とこなすだけだろう。

 

しかし、秋山節は違う。

 

『田舎の学校のグランドなんて広いだけが取り柄で、何部のヘタクソが引いたのかもよくわからないぐにゃぐにゃした白線はひと夏がかりで散々に踏みにじられて、まだ闇に慣れきっていない目にはまるでナスカの地上絵のように見える。(中略)いつまでも鳴り続けている電話のベル、何かを追いかけているパトカーのサイレン、どこかで原チャリのセルモーターが回り、誰かがジュースを買って自販機に礼を言われた。』

 

テンポよく、夏の田舎の中学校に流れる時間と空間を鮮やかに読者たちの脳内に描き出す。

軽妙でポップな比喩を使いつつ、緩みのない文章を続けることで、夜の学校に忍び込む少年の心情へ自然と読者をリンクさせる。

 

――巧い。

 

思わず、唸る他ない。

技巧派でありながら、文章を硬くせずに読みやすい文体で読者を物語へと誘う。これが、しばしば秋山瑞人という作家が天才と評される所以であろう。

 

この作品が絶版であることが、非情に口惜しい。

 

たしか、6月24日はUFOの日だったと記憶している。

昔読んだ方であれば、当時を思い出して再び読んで頂ければと思う。もし、初めて読まれる方であれば、ぜひ最後まで物語を追って頂きたい。

 

追記:カクヨムにて、冒頭が無料で読める。これを機会に、ぜひ