三島由紀夫の「金閣寺」が童貞文学である理由について

 三島由紀夫(大正14年〈1925年〉~昭和45年〈1970年〉)は、昭和を代表する小説家であり知識人であった。

 

 彼の代表作『金閣寺』(昭和31年〈1956年〉文芸雑誌「新潮」刊行)は、昭和25年(1950年)、実際に起こった京都・金閣寺炎上事件をモデルに描かれている。

 

 この金閣寺炎上事件とは何だったのか? 

 当時、大学生であった青年が金閣寺という日本でも有数の寺院を放火した。社会に与えた影響は凄まじく、国宝の舎利殿46坪を全焼し、文化財の仏像6点も焼失する結果となり、日本全国に大きな波紋を広げた。

 

 数々の自然災害や戦災から逃れ続けた金閣寺が、たった一人の青年の犯行により一夜にして塵灰に帰した。まさに、日本文化の一翼を担う建物の喪失である。

 

 このようなセンセーショナルな事件を、当時はまだ新進気鋭の小説家だった三島由紀夫が小説化する事となった。

 

 創作の経緯については『決定版 三島由紀夫全集』(新潮社)の「三島由紀夫全集 第6巻」にある創作ノートで詳しく書かれている。

 

 (余談であるが、この決定版の全集では三島由紀夫の創作ノートが付録として読める点から小説の意図や制作経緯について細かく理解することができ、大変重宝している。)

 

 この重大事件を三島は約1年間をかけて準備を行った。京都はもとより犯人の出身地まで赴き綿密に彼の生い立ちから事件当日に至るまでの行動を調べ上げ、時には大学生であった犯人の学業単位についても記録している。

 

 しかし、結果的に三島は綿密に調べ上げた内容のほとんどを使わず、むしろ現実世界の素材を用いて三島文学の真骨頂である「美」を主題とした作品へと昇華させていく。

「美」の世界に憧憬を抱き、困惑する青年という架空の人物へと仕立て上げていった。

 

次回は、その三島文学における「童貞性」について話してみたい。